2015年10月6日火曜日

雪華図説 06

雪華図説 許鹿源利位
(幕府奥医師 桂川国寧の跋文)

両間の万物。半箇も所用無は無し。その之を享(うく)るの人。但(ただ)その声色(せいしょく)香味を嘲弄し。却て真実の用を知覚せず。人の物における。既にその真を知て。その理を窮め。またその声色を愛するときは。物その寃を逸れ。人も之に溺るるの患無し。風花雪月の如は。人命の係るところ。最大なり。しかるに。亦、茫然省悟(ぼうぜんせいご)せず。盖(けだし)人情。浮華(ふか)を喜び。沈実(ちんじつ)を疎む。

不才国寧(くにやす)嘗て中西の諸籍を読て。粗(ほぼ)雪花の説を知り。その功の偉なるを感ず。それ高楼に珠簾(しゅれん)を掲げ。重幄に肉屏(にくへい)を擁するは。富児の事。固より論を煩はさず。貧人我儕(わなみ)の如きも。また扁舟(へんしゅう)に浮び。蓑笠に歩し。茶を煮。詩を吟じて。訪戴驢背(ほうたいろはい)を唱へ。風流脱灑(だつしゃ)を事とすること。誰か得てこれを禦(ふせ)がん。而ども。これ虚にして実なし。豈理を知り。性を窮て後。これを賞翫(しょうがん)するにしかんや。

按ずるに。雪片六出(せっぺんりくしゅつ)の名は。中華に昉(はじま)リ。[ 韓詩外伝を初とす。中華百般の事件。その原始。他州に先だつもの多し。六花の名。またその一なり。] 図は西洋に昉る。[ 格致問答に出つ。] 我邦に在ては。いまだ雪花を詳認するものを聞かず。近年知を 古河侯に辱す。驩晤(かんご)の際。益を得ること甚多し。中に就て。雪花の図を観ることを得て。神目を驚かす。精妙西図に超ゆ。古来 我邦いまだ曽て有ざるのこと。 侯始て之を発す。独り我邦のみならんや。其精其詳。海外の人。またまさに。三舎を退んとす。

之を漫然声色に耽るに比すれば。その懸隔(けんかく)如何ぞや。況や。 侯富に居。貴に位し。耳目の欲。求て得ざること無し。然るに。意を日新の学に留め。攷々(こうこう)として倦まず。兀々(こつこつ)として年を窮むること。殆ど貧儒寒生に侔(ひと)し。豈敬服せざるべけんや。

今歳壬辰。 侯の図五十五種に及べり。之を請う者少なからざるに因て。刻して冊子となし。余に言を徴す。それ 侯既に親自之を験視し。又中西の説を参酌し。東討西求。捜羅(そうら)殆ど尽き。精説詳釋。明備遺すことなし。豈余が言を(ぜい)せんや。但余 侯の知遇をうけ。且好学の厚を感じ。辞せんと欲して得ず。また敢て辞せず。聊二律を呈し。一は 侯の説に得て。雪の功を賞し。一は此盛挙に与るの喜をしるす。

  絮の如く花の如く小園に集る。 霏霏密密又翻翻。
  空に飛ぶ処、空中潔を致す。 地に積る時、地下温を成す。
  凝結千秋嶂頂(しょうちょう)を護る。 觧凘(かいし)万古川源を養い。
  稲田麦隴(ばくろう)津潤(しんじゅん)足る。 処処喜聞撃壌(げきじょう)の喧(やかまし)きを。
  密雪図を成し綺紋(きもん)を列す。 細に観れば一一新聞に駭(おどろ)き。
 珍篇は高し雲を絶の鳳。 拙語は幸なる哉、(き)に付の蚊。
  石鼎(せきてい)茶を煎め素練(それん)を詠じ。 珠簾酒を温めて紅裙(こうくん)醉。
  世間の賞翫(しょうがん)多は此(かく)の如し。 理窮真論独り君のみ有。

    天保三年龍集壬辰秋七月 翠藍桂国寧謹撰


註:
・声色(せいしょく):音楽と女色。
・浮華(ふか):外面の華やかさばかりで中身のないこと。
・沈実(ちんじつ):心を落ち着かせておくこと。:言志後録144 「・・・必ず沈実を以てして浮心を以てする勿れ」: 言志後録 は、佐藤一斎 著。「続雪華図説」の「弁言」と題する序を寄せる。

・国寧(くにやす):桂川国寧(かつらかわくにやす)
・珠簾(しゅれん):珠玉で飾ったすだれ。珠すだれ。
・肉屏(にくへい):肉屏風、肉障:唐の楊国忠(ようこくちゅう)が多くの美女を周囲に並べて寒さを防いだ。
・訪戴驢背(ほうたいろはい):剡渓訪戴:晋の王子猷(おうしゆう)は、雪の夜、浙江の剡渓(えんけい)に住んでいる戴安道を訪ねた。しかし門前まで行ったが会わずに帰った。その理由を問われて、興に乗じて行き、興尽きたので帰るのみ、奇とするに足らずと答えた。

・驩晤(かんご):歓晤:うちとけて話し合う。
・三舎:三舎を避く:相手を怖れて近づかない。

・寒生:貧しい書生。または、自分の謙称。

・親自:自分で。
・捜羅(そうら):徹底的に探し集める。「羅」は網のこと。
・贅(ぜい):贅言:無駄口。
・盛挙:壮大な事業。

・嶂頂(しょうちょう):嶂:峯。切り立った山。
・觧凘(かいし):凘(し)(せい)(さい):氷がとけて流れること。
・麦隴(ばくろう):隴:畑のうね。
・撃壌(げきじょう):大地を叩いて歌うこと。:壌:大地。土製の楽器。木製の靴。
・綺紋(きもん):綺:美しい。珍しい。
・珍篇:珠玉の詩歌。
・驥(き):一日千里を走る駿馬。才人。
・素練(それん):白い練絹
・紅裙(こうくん):美人。芸妓。
・賞翫(しょうがん):めでて楽しむこと。




雪花図説 単純翻刻

両間ノ万物。半箇モ所用無ハ無シ。ソノ之ヲ享ルノ
人。但ソノ声色香味ヲ嘲弄シ。却テ真実ノ用ヲ知覚
セス。人ノ物ニオケル。既ニソノ真ヲ知テ。ソノ理ヲ
窮メ。マタソノ声色ヲ愛スルトキハ。物ソノ寃ヲ逸
レ。人モ之ニ溺ル々ノ患無シ。風花雪月ノ如ハ。人命
ノ係ルトコロ。最大ナリ。シカルニ。亦茫然省悟セス。
盖人情。浮華ヲ喜ヒ。沈実ヲ疎ム。不才国寧嘗テ中西
ノ諸籍ヲ読テ。粗(ホ々)雪花ノ説ヲ知リ。ソノ功ノ偉ナル
ヲ感ス。ソレ高楼ニ珠簾ヲ掲ケ。重幄ニ肉屏ヲ擁ス
ルハ。富児ノ事。固ヨリ論ヲ煩ハサス。貧人我儕ノ如
キモ。マタ扁舟ニ浮ヒ。蓑笠ニ歩シ。茶ヲ煮。詩ヲ吟シ
テ。訪戴驢背ヲ唱ヘ。風流脱灑ヲ事トスルコト。誰カ得
テコレヲ禦カン。而トモ。コレ虚ニシテ実ナシ。豈理ヲ
知リ。性ヲ窮テ後。コレヲ賞翫スルニシカンヤ。按ス
ルニ。雪片六出ノ名ハ。中華ニ昉リ。[ 韓詩外伝ヲ初トス。中華百般ノ事
件。ソノ原始。他州ニ先タツモノ多シ。六花ノ名。マタソノ一ナリ。] 図ハ西洋ニ昉ル。[ 格致問答ニ出ツ。] 我邦ニ在テハ。イマタ雪花ヲ詳認スルモ
ノヲ聞カス。近年知ヲ 古河侯ニ辱ス。驩唔ノ際。益
ヲ得ルコト甚多シ。中ニ就テ。雪花ノ図ヲ観ルコト
ヲ得テ。神目ヲ驚カス。精妙西図ニ超ユ。古来 我邦
イマタ曽テ有サルノコト。 侯始テ之ヲ発ス。独
我邦ノミナランヤ。其精其詳。海外ノ人。マタマサニ。
三舎ヲ退ントス。之ヲ漫然声色ニ耽ルニ比スレハ。
ソノ懸隔如何ソヤ。況ヤ。 侯富ニ居。貴ニ位シ。耳目
ノ欲。求テ得サルコト無シ。然ルニ。意ヲ日新ノ学ニ
留メ。攷々トシテ倦マス。兀々トシテ年ヲ窮ムルコ
ト。殆ト貧儒寒生ニ侔シ。豈敬服セサルヘケンヤ。
今歳壬辰。 侯ノ図五十五種ニ及ヘリ。之ヲ請フ
者少ナカラサルニ因テ。刻シテ冊子トナシ。余ニ言
ヲ徴ス。ソレ 侯既ニ親自之ヲ験視シ。又中西ノ説
ヲ参酌シ。東討西求。捜羅殆ト尽キ。精説詳釋。明備
遺スコトナシ。豈余カ言ヲ贅センヤ。但余 侯ノ知
遇ヲウケ。且好学ノ厚ヲ感シ。辞セント欲シテ得ス。
マタ敢テ辞セス。聊二律ヲ呈シ。一ハ 侯ノ説ニ得
テ。雪ノ功ヲ賞シ。一ハ此盛挙ニ与ルノ喜ヲシルス。

如絮如花集小園。霏霏密密又翻翻。飛空[処]致空中
潔。積地時成地下温。凝結千秋護嶂頂。觧凘万古養
川源。稲田麦隴足津潤。処処喜聞撃壌喧。
密雪図成列綺紋。細観一一駭新聞。珍篇高矣絶雲
鳳。拙語幸哉付驥蚊。石鼎煎茶詠素練。珠簾温酒醉
紅裙。世間賞翫多如此。窮理論真独有 君

天保三年龍集壬辰秋七月 翠藍桂国寧謹撰



01. 02. 03. 04. 05. 06.